学習指導要領と教科書の唱法の取り扱い
固定ド唱法を中心に指導されている教員には、その理由として、「学習指導要領での移動ド唱法の取り扱いは、『適宜』であるから」や「教科書でも固定ドが使われているから」等を挙げられる方が少なくありません。しかし、学習指導要領の解説や教科書を詳しく読めば、それが音楽科教育を固定ドを中心に指導する理由になるとは言い難いことが分かります。この記事ではその詳細をまとめています。
1.学習指導要領
学習指導要領の階名唱に関する内容で特に着目されるのが、平成20年の改訂により、「原則」から「適宜」に代わったということだと思います。これを根拠に固定ド唱法で授業することが妥当と言えるでしょうか。学習指導要領解説(平成元年以前は指導書)まで読むとまた違ったことも見えてきます。着目すべき点を表にまとめました。
2.文部科学省 2008, 2017 小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領
3.文部省 1989 小学校指導書音楽編 教育芸術社 p98
4.文部科学省 2008 小学校学習指導要領(平成20年告示)解説 音楽編 東洋館出版社 p90
5.文部科学省 2017 小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 音楽編 東洋館出版社 p33
6.文部省 1989 小学校指導書音楽編 教育芸術社 p98
7.文部省 1999 中学校学習指導要領(平成10年12月)解説音楽編 教育芸術社 p69
平成20年の改定前は、移動ド唱法を原則とすると言っても、そもそも階名唱に移動ド唱法と固定ド唱法があるという前提で「原則」と書いていました。それが、平成20年の改定以降は階名唱に固定ド唱法が含まれるという解釈ははっきりと否定されました。これは階名唱の取り扱いをより厳格にしているとも解釈できます。現在の平成29年版学習指導要領でもそれは踏襲されています。また、以前に記載されていた固定ド唱法を容認する記述も平成20年改定以降はなくなっています。何故なくなったのでしょうか。憶測になりますが、「唱法に関する研究レビュー」の1でも書いたように音程があやふやになる人が増えるというデメリットがあったからではないでしょうか。
学習指導要領での「適宜」という記述に関しては、全ての教材で階名唱することは求められていないということであり、だからと言って、階名唱の代わりに固定ド唱を使うのが良いということにはなりません。現在の学習指導要領では固定ド唱法で指導することの根拠になる記述は一切ないことは心得ておかなくてはなりません。
2.教科書
学習指導要領では固定ドで指導する根拠は得られないことは明らかになりました。では、教科書ではどうでしょうか。
確かに、一部のページではドレミが固定ド的に使用されています。しかし、それを根拠に音楽の授業全体を固定ドを中心に指導することが妥当と言えるかといえばとてもそんなことは言えないことがわかります。
このサイトの曲のページでもいくつか書いていますが、例えば教育芸術社のデジタル教科書(https://www.kyogei.co.jp/digitaltextbook/2024es/)では、小学生は「ひのまる」を階名唱する動画が二種類(ヘ長調及びハ長調)用意され、選択して再生できるようになっています。また, 風船の絵にドレミが書かれたもの(どれみの風船)が用意され、ヘ長調を選択した状態で「ど」を押すと、Fの音が再生されるようになっています。このことからハ長調以外の階名唱(いわゆる「移動ド唱」)が教科書でも想定されていることが分かります。
また、教育芸術社、教育出版とも器楽の教材曲において運指を固定ドで示すことはしているものの、固定ドのシラブルで歌唱することは求めていないと解釈できる記述が複数見受けられます。例えば以下の記述が挙げられます。
教育芸術社 小学生の音楽3
≪きれいな ソラシ≫
「リコーダーをえんそうする時には, 歌うようにふくことが大切です。曲のかんじをつかむために, せんりつを『tu』で歌ってみるといいですよ。」
《あの雲のように》
「せんりつを『ラ』や『タン』で歌ったりして」
《メリーさんのひつじ》
「それぞれのパートを『ラ』や『ラン』で歌ったりしましょう」
教育出版 小学音楽 音楽のおくりもの3
≪マジカルシラソ≫
「せんりつを『トゥ』や『ル』で歌って, 曲の感じをつかんでえんそうしよう。」
器楽の学習においても旋律の把握のために歌うことは有効な指導です。しかし、その楽曲がハ長調やイ短調以外である場合は、「トゥ」や「ラ」の単一シラブルで歌う活動が推奨されています。ちなみに教育芸術社の教科書で取り上げられているハ長調の器楽曲では「それぞれのパートをドレミで歌ったりして《パフ》」等、階名で歌う活動が示されています。したがって、教科書のドレミで歌う活動として階名唱は求められているものの、固定ド唱は求められていないと考えられます。
なお、このような内容を修士論文に書いたところ、≪きれいなソラシ≫に関して、「下に固定ドが歌詞になったものが記載されているためこの解釈には無理がある」と仰った教授がいました。しかし、この歌詞全体が( )でくくられている点は見逃せません。≪きれいなソラシ≫は、歌唱教材ではなくあくまで器楽教材として扱われています。そして、すぐ下に作曲者の吉澤実氏の写真に吹き出しの形で「『tu』で歌ってみるといいですよ。」と書かれていることは、授業内でこの曲の感じをつかむために歌唱の活動をする場合「tu」で歌うことが求められていると考える方が妥当だと思います。もちろん、ここで吉澤実氏の作詞された歌詞を否定する意図はありません。音楽科授業における学習活動として考える場合の話です。
また教育芸術社「小学生の音楽4」では、「長調の音階でつくられている曲は『ド』で終わることが多いよ。」という記述があります。子供のなかにも音楽教室等で固定ドで習っている人が一定数存在することを考えると、「ハ長調の…」とした方が受け入れられやすいはずですが, あえて「長調の…」と一般化した表現を使用している点は見逃せないでしょう。ドレミは階名に使う原則が守られていることが分かります。
さらに、長調の音階の図では、五線譜上のドレミの位置を覚えさせるような図がありますが、五線譜の横には「ハ長調の場合」と書かれ、他の調の場合はこの限りではないことを示していると読み取れます(注8)。実際に6年生の教科書では「中学校で習います」と補足しつつ、ヘ長調とニ短調の音名と階名が図で示され(注9)、階名は調によって五線譜上の位置が変わるもの、音名は変わらないものということが視覚的にわかるように示されています。
音名と階名に関しては、教育芸術社の教科書では小学3年生から、教育出版のでは中学校から「階名」を表すシラブルとして「ドレミ」、「音名」を表すシラブルとして「ハニホ(またはCDE)」が示されています。
某教育大学の教授が「音名唱しましょう」と言って固定ドで歌わせる活動を良いことのように指導してしまっているため、学校現場でも「音名唱」と言って固定ド唱させてしまう先生も一定数いらっしゃると思われますが、これは教科書の用語の使い方を無視していると言えます。教科書の用語の使い方を守って音名唱をするのであれば「ハニホ(もしくはCDE)」で歌わないとおかしいはずです(もちろん、する必要があるとは思いませんが)。「学校外の教育でドレミを音名として習っている人がいるから」と言うのは、個別の配慮として行うなら良いですが全体での指導で扱う理由にはなりません。
中学校の教科書に関しては令和7年度より教科書が新しくなるため、それを入手次第ここに追記しようと思います。ただ、令和6年度現在の中学校の教科書では器楽の分野で部分的に使用されている固定ドに関しては、「ハ長調の階名」という表現が使用されています。教育出版の教科書では、「楽器を演奏するときには, ハ長調あるいはイ短調の階名の読み方を他の調でも用いることがある。」という記述があります。つまり教科書的には固定ドはハ長調でない調をハ長調のように読む読み方と言えます。この解釈に基づけばメリットとデメリットが分かりやすいのではないでしょうか。確かに、器楽においてハ長調の階名で覚えた運指を流用することが運指確認上の負担を軽減できるメリットに感じられるかもしれません。しかし、それは調性を無視した読み方ともいえるため、歌う活動を伴えばデメリットを伴うことが想像できるでしょう。
まとめ
①学習指導要領では、固定ドで指導する根拠となる記述はない。
②教科書での固定ドの使用は器楽における運指の確認のみであり、固定ドで歌う活動は求められていない。
そして、改めて主張しておきたいのが、固定ドで歌う活動がむしろ足かせになる人がいるということです。階名唱を知らない、知っていても使わない・使えない先生や子供はそれに気づけない場合も多いです。これはパソコンのない時代の人がそれを不便だという発想を持てないのと同じです。しかし、自分がわからなくても、わかろうとする姿勢を持つことは大切だと思います。固定ドを使っていても後で階名唱の利点を知ると、固定ドでの練習が無駄な遠回りだったと思う人は少なくありません(私もその一人です)。その無駄な遠回りが学習指導要領や教科書を軽視した教員の勝手な判断でさせられていたと知ったらどう思うでしょうか。自分がそうでなくても、そういう人の気持ちを考えれば安易に固定ドで歌わせるような指導はできないのではないでしょうか。
この記事が、固定ドで指導されている先生方の唱法の取り扱いについての考え方を見直すきっかけになれば幸いです。この記事に関する質問・ご意見等がございましたらコメント欄にご記入ください。
【引用文献】
文部省 1989 小学校指導書音楽編 教育芸術社
文部省 1999 中学校学習指導要領(平成10年12月)解説音楽編 教育芸術社
文部科学省 2008 小学校学習指導要領(平成20年告示)解説 音楽編 東洋館出版社
文部科学省 2017 小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 音楽編 東洋館出版社
新実徳英ほか (編) 2024 小学音楽 音楽のおくりもの3 教育出版株式会社
新実徳英ほか (編) 2022 中学音楽1 音楽のおくりもの 教育出版株式会社
新実徳英ほか (編) 2024 中学器楽 音楽のおくりもの 教育出版株式会社
小原光一ほか (編) 2024 小学生の音楽3 教育芸術社
小原光一ほか (編) 2024 小学生の音楽4 教育芸術社
小原光一ほか (編) 2024 小学生の音楽6 教育芸術社
小原光一ほか (編) 2022 中学生の音楽1 教育芸術社
小原光一ほか (編) 2022 中学生の器楽 教育芸術社
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