唱法に関する研究レビュー
サイト作成者は大学院で音楽科授業における唱法指導に関する研究をしておりました。
ここでは唱法に関する先行研究のなかで特に音楽の授業に関わる先生方に是非知っておいていただきたいものを紹介しようと思います。
1.唱法による旋律の想起の差
以下の研究では、唱法と旋律の想起との関連が調査されています。
杉山知子 1988 唱法の研究(3)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001202901312000
p40の図で示されているように、移動ド唱法採用者は、「メロディがほぼ正確に想起できる」と「ドレミを読むのに時間はかかるが、メロディは想起できる」を合わせた回答が約8割であったのに対し、固定ド唱法採用者では6割未満となっています。ここで使用された楽曲はヘ長調(1♭)ですが、これがより派生音の多い調であった場合、この差は大きくなることも予想されます。五線譜からドレミを読み取れても脳内で音楽が想起されていなければ、それは読譜ができているとは言い難いでしょう。この調査結果は読譜による旋律把握のために固定ド唱法を採用することが不利になる可能性を示唆しています。
また、この論文の終わりに「移動ドのよさを加味した固定ド唱法に切り替えても良い時期にきているのではないか」と提起していますが、その「移動ドのよさを加味した固定ド唱法」の具体的な方法は書かれていません。おそらく、A-Durであれば「ラシドレミファソラ」を長音階に対応させる、B-Durであれば「シドレミファソラシ」を長音階に対応させるといったことと思いますが、それは移動ド以上の負担になるでしょうし、私は不可能だと思っています。この論文が執筆されてから30年以上経っていますがそのような教育方法が確立していないことが何よりの証拠ではないでしょうか。
これは私の体験談ですが、学校現場の音楽科教員や、大学の音楽専門の学生でも、「固定ドでもそうはならない」という音程で固定ド唱してしまう人が少なからず見受けられます。例えば、ヘ長調なのに「ラ-シ」を全音、「シ-ド」を半音で固定ド唱してしまうようなことが頻発しています。これはドレミによる歌唱が音程を正しくとることに役立っていない(むしろ邪魔になっている)可能性が否定できません。音楽科教員や音楽専門の学生がそのような状態で、一般教育で子供たちに指導できるでしょうか。むしろ先生でもできないのだから「楽器操作さえできれば、ドレミで歌う時に正しい音程で歌えなくてもいい」と言うような誤った認識を子供に与えてしまう可能性が高いでしょう。
2.音楽専攻以外の学生のドレミシラブルの認識
音楽の教員には、「階名唱を使用する人はごく少数派であるため、実際の学校現場での指導で固定ドで困る学習者などほとんどいない」と考える方がおられます。私が研究で実施したアンケートでも、「今まで出会ったことはない」と書かれた方がおられました。しかし、階名唱という方法を知らないだけで実際には階名(移動ド)の感覚を有する学習者は無視できない割合で存在することが考えられます。その根拠となり得るのが以下の研究です。
川内奈保子 2020
音楽専攻ではない学生の絶対音感,相対音感保持についての一考察―絶対音感・相対音感チェックテスト実施と結果の分析―
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050292472608645120
この研究では、音楽を専門としない学生を対象に、絶対音感の有無と、旋律を固定ド・移動ドのいずれによって認識しているかを調査されています。移動ド・固定ドの認識に関する調査では、同一曲を異なる調に移調し、問題①(ヘ長調)、問題②(ニ長調)を作成し、それぞれ、固定ド・移動ドのいずれによって認識するかを調査し、結果、固定ドの傾向が見られた割合が、問題①(ヘ長調)で47%、問題②(ニ長調)で34.8%、移動ドの傾向が見られた割合が、問題①(ヘ長調)で45.9%、問題②(ニ長調)で51.9%であったことを報告しています。この結果から、旋律を階名で捉える感覚は、移動ドを専門的に取り扱った教育を受けなくても自然に身に付くものであると考えられます。
なお、問題②において固定ドの認識の割合が10%以上低下し、移動ドの認識は問題②において約6%上昇していることは着目すべき点であると言えるでしょう。これには、絶対音感には程度の差があるため、絶対音高で認識することが容易な調と困難な調が存在することが要因の一つに考えられます。ハ長調から離れた調になることで、絶対音高での認識が困難になったのではないでしょうか。また、問題①と同一の旋律であったため、同一のシラブルを対応させる移動ドの合理性に気づき、移動ドを選択したことも考えられます。
この研究は学習者に「自身が移動ド」という認識がなくても、移動ドの方が適した感覚を有している可能性は十分にあることを示唆しています。
3.二者(三者)共存による指導
長崎大学の古田庄平先生は唱法(移動ド・固定ド)に関する多くの論文を執筆されています。私も勉強させていただきました。古田先生の一連の論文はすべて拝読したうえで、賛同しかねる部分もあるのですが、以下の研究は学校教育において唱法を取り扱う場合に非常に有益なものと思うので紹介します。
古田庄平 1990
教師教育における音楽の基礎学習について ―<固定ド>と<移動ド>の音感と唱法の問題を中心に―
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050568772251739264
ここでは、教員養成課程の学生を対象にした授業において、学習者の聴感覚に対応させた「二者(あるいは三者)共存による指導」を実施しています。移動ドと固定ドという対立する二つの唱法を公平に扱った貴重な例と言えます。
ここではまず、学習者の聴音の手段と能力を調査し、学習者のなかに三者(移動ド/固定ドのいずれかの音感が定着した学習者といずれの音感も未定着な学習者)が混在していることを明らかにし、音感に合わせて唱法を選択することが重要であることを説明しています。そして、各学習者の聴感覚に基づいた唱法により、コンコーネ及びコールユーブンゲンの視唱の授業を実施し、学習後に再度、聴音の手段と能力を調査しています。リンク先の論文p46に学習前と学習後を比較した図が示されています。
固定ドの高得点者がほぼ維持されたまま、移動ドの高得点者が増加し、全体の成績も向上しています。これは学習者の聴感覚と唱法を関連付けた学習により得られた成果であると考えられます。また、いずれの音感も有しない場合は、移動ドによる学習のほうがより効果が期待できることを示唆していると言えるでしょう。
このような研究があったにもかかわらず、学校現場で一方の唱法のみによる指導が多く実施されている現状はとても残念と言わざるを得ないのですが、それはこのような学習者に応じた指導が一般的な公立学校での実施が困難と考えられていることが考えられます。この問題を解消するためには、教員の負担を軽減し、学校現場でも実施しやすい指導法の開発が必要となると考えられます。私が大学院で研究したことはこれがメインでした。これに関しては「階名唱を取り入れた授業方法の提案」のページで紹介しています。
4.固定ド唱法による教育を推奨する主張
唱法指導に関する先行研究を見ていると、固定ド唱法による教育を推奨しているものも見受けられます。しかし、その主張に対しては客観性を欠いているように思われるものが少なくありません(いわゆる固定ドで学んできた人の主観が大きく反映されているような内容)。
以下の論文、著書はそれに関するものです。そして、それに対する私の見解を書いています。
(1)移動ド代替案
大西潤一 2015
唱法再考 : 固定ド存置,および移動ド代替案としてのヒフミ唱法復活の提案https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649782381184
この論文では、これまでの移動ド唱法及び固定ド唱法に関する議論の歴史的変遷をまとめたうえで、「幼児期・小学生のころは、音名唱、中学生に入ってから階名唱が適切である」「『固定ド唱法』を正式な『音名唱法』として認め、階名唱法には、明治期に用いられていた『ヒフミ唱法』を復活させて採用する」ということを主張されています。
この主張に対して、以下の指摘をしたいと思います。
第一に、「幼児期・小学生のころは、音名唱、中学生に入ってから階名唱が適切である」ことの根拠として、「音名唱法は簡単であること、階名唱法は音楽理論などある程度知識が必要」と述べていることです。しかし、「音名唱法は簡単である」はあまりにも個人の主観によりすぎているでしょう。階名唱法が簡単でないならば、なぜ学習指導要領で小学校低学年の学習活動で示されているのでしょう。このあたりの視点が抜け落ちているように思われます。
大西氏の言う「音名唱は簡単」「階名唱には知識が必要」は、おそらく五線譜をドレミに直すことに限定して述べているように思われます。「日のまる」のページでも書いたように五線譜によらない階名唱は何ら難しいものではありません。学習者の聴感覚が階名もしくは音名と結びついていた場合は、いずれかの唱法が困難になることは考えられますが、それは階名唱にも音名唱にも起こりうるものです。
また、絶対音感を有しない学習者の場合、階名唱法は聴感覚に対応するという利点が得られます。例えば「終わった感じがする音が『ド』になる」と言ったことが挙げられます。「ド」の基準が自分に認識できるものかそうでないかは学習意欲に大いに影響するでしょう。大西氏は、「筆者(絶対音感保持者)の自己観察では、どのような調でも階名がすぐわかるという意味での『階名スキーマ』は筆者には乏しい感がある」と認めています。聴感覚との関連を認識できなければ階名唱法が簡単と思えないのは無理がありません。しかし、それは大西氏の絶対音感が影響している可能性が高く、大多数の学習者に当てはまるように述べるべきではないと考えます。上記の川内氏の研究からも推察されるように、2つの唱法を提示した場合に階名唱の方が自然に感じられる学習者は決して少なくないと考えられます。
第二に、「『固定ド唱法』を正式な『音名唱法』として認め、階名唱法には、明治期に用いられていた『ヒフミ唱法』を復活させて採用する」ことの提案に関してです。これは明治時代に「ヒフミ階名唱」が使われものの、その後「ドレミ階名唱」に代わったという歴史を軽視しているように思われます。ヒフミ階名唱がドレミ階名唱に代わったのは発音上のヒフミ唱の歌いにくさ、ドレミ唱の歌いやすさが大きく関係していることが推察されます(上記の1の杉山氏の論文でもそのようなことが述べられています)。前述のように、大西氏は階名の聴感覚が自分に乏しいことを認めていますが、この主張では自身が満足に活用できないから歌いにくい方法でも構わないという主張のように思われても仕方がないでしょう。ドレミでない階名唱法にしても「イニサ」や「ボチェディ」等の唱法があるのに、何故それらではなく過去に廃止されたものの採用を主張するのか、私には階名軽視のような安易な提案に思えてなりません。
また、階名唱法に移動ドを残し音名に英語音名等を用いる方法を、「『移動ド唱法』の立て直しと『英語音名の普及』という2重の負担を現場の教員や子どもたちに強いることになるので望ましくない」と主張していますが、この主張は、階名使用者及び階名で指導してきた教員の負担に対する配慮不足と言えるでしょう。とくに、これまでドレミシラブルを階名に使用してきた教員や学習者にとって、突然異なるシラブルを使用する負担は小さくないことは容易に予想できます。現在でも学習指導要領では、「適宜、移動ド唱法を用いること」と示され、固定ド唱法や音名唱に関する記載は一切ありません。大西氏の提案は、民間教育等で学習指導要領と異なる学習をしたことによってドレミによる階名唱が困難となった学習者に対する個別の手立てとして実施するのであれば有益でしょう(ヒフミよりも「イニサ」や「ボチェディ」の方が望ましいですが)。しかし、学校教育全体でこれを実施する場合、学習指導要領に沿って指導した教員や自然にドレミによる階名感覚を獲得した学習者に新たな負担をもたらす恐れが予想されます。これは公平性を欠くと言わざるを得ません。
(2)固定ド唱法での相対音感の育成
論文ではありませんが、学校現場での固定ドでの指導を推奨する以下のような書籍があります。
伊東玲 2018
「固定ドの階名唱でつける読譜力の有用性とその指導法: 学校教育での移動ドと固定ドの論争に終止符を打つ 教育の実践から理論への小論考シリーズ (ルタンリッシュリブレ)」https://amzn.asia/d/hTQS4Sg
始めに述べておきますが、そもそも「固定ドの階名唱」というものは学習指導要領の階名唱の定義から外れています。詳細は「このサイトについて」でも書いていますが、学習指導要領解説では階名唱は移動ドのドレミであることがはっきりと書かれています。伊東氏はこの書籍の中で度々新学習指導要領(平成29年版と思われます)に言及していますが、解説の階名唱に関する言及をきちんと読んでいない可能性があります。また、その前の学習指導要領(平成20年版)の解説からすでに階名唱が移動ド唱法を指すことは示されていました。
それを最初に指摘したうえで、学校教育において、学習指導要領で言及されている階名唱(移動ド唱法)ではなく、学習指導要領で言及されていない固定ド唱を中心に指導することに関して以下の指摘をいたします。
この書籍では、学校現場において固定ド唱法を取り扱う根拠として、授業時数が限られていることや絶対音感者にとって移動ド唱法が困難なこと、固定ド唱法であっても相対音感の育成が可能であること等を挙げています。
しかし、この実践では小学校低学年から固定ド唱法による視唱をさせています。敢えて固定ドと断っているということはハ長調やイ短調ではない調を取り扱っていると解釈できますが、これは学習指導要領で示されている小学校での視唱の範囲を超えるものです(小学校ではハ長調及びイ短調まで)。階名唱(移動ド唱法)を取り扱えない理由として授業時数の問題を挙げておきながら、高学年でも示されていない内容を低学年で取り扱っているのは矛盾していると言えます。
また、移動ド唱法が困難な絶対音感者に配慮することは確かに必要です。しかし、「このサイトについて」でも述べているように、その配慮のために他の学習者が階名唱を学ぶ機会を犠牲にすることはあってはなりません。
さらに、仮に固定ド唱法によって視唱できたとしても、楽譜を見ずに旋律を聴いたときにそのシラブルで認識することは、絶対音感に臨界期があることを踏まえれば、絶対音感を有しない学習者にはほぼ不可能であると考えられます。上記の川内氏の研究のように、旋律を階名で認識する感覚は専門的な音楽の学習をしなくても比較的容易に獲得できることが示唆されていますが、階名と異なるドレミシラブルで歌唱する活動(固定ド唱)を日常的に実施していれば、この能力の獲得が妨げられる可能性があります。学習指導要領に沿えば十分に獲得が期待できる能力を、示されていない活動によって獲得できなくしてしまうことの問題は無視できません。例え全体の合唱で成果があったとしても、それが一部の学習者の感覚を矯正するものであれば倫理的な問題を生じさせていると言えるでしょう。固定ドでも相対音感の育成が可能であったという事例は、階名唱が困難な学習者に固定ド唱法での指導をすることの根拠にはなり得るかもしれません。しかし、階名唱の活用が期待できる学習者からその可能性を喪失させる根拠にすることはあってはならないと考えます。
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