学校教育での器楽指導と階名唱とのかかわりに関する考察
私が自分の研究で実施した教員アンケートで「固定ド唱法を中心に指導する」理由として、器楽で固定ドを使うためという内容が複数見受けられました。
確かに器楽の指導においては運指の確認の際、音名を使えば便利です。学校の教科書では音名をハニホとしているものの、器楽においてハ長調の階名という形で実質的な固定ドも使用されています。これは学校教育に関わるうえで無視できません。
しかし、それを理由に固定ドに依存しすぎるのが良い授業になるでしょうか。音楽が好きなものの学校の音楽授業は嫌いという学習者が一定数見受けられることは音楽科教育の一つの課題ではありますが、器楽(特にリコーダー)の困難さはその一つでもあります。リコーダーで固定ドを使用することを理由に歌唱でも固定ドを使用することは、本来嫌いではない領域まで嫌いにさせてしまうリスクも考えられます。
さて、それとは別に、器楽に音名を使用する利点があるとはいえ、階名は使えないのでしょうか。私は、ある教員経験者から「器楽で階名を用いる場合、固定ドの12倍の負担になる」という話を受けたことがあります。これには大いに疑問を持ちます。少なくとも現在の小中学校現場の器楽指導では否定されるでしょう。以下で詳細を書きます。
現在の学校現場で中学校から使用されるアルトリコーダーは実音楽器として取り扱われています(現在使用されている教科書会社二社ともアルトリコーダーの楽譜を実音で表記しているため)。そのため、固定ドであっても中学校に入った段階でドの位置が異なる運指を学ぶことになります(これに困難を感じリコーダー嫌いになる学習者も多いことが推察されます)。
ところで、このサイトを見ている方の多くは、すでにアルトリコーダーでドの運指が変わるという経験をされてきた方と思いますので、以下の楽譜を見てください。
よろこびの歌 ト長調
ソプラノリコーダーを持って、階名を見ながらアルトリコーダーの運指だと思って弾いてみてください。絶対音感がある方は気持ち悪いと思われるかもしれませんが、そうでない方は特に困難なく弾けると思います。もし、小学校の段階でト長調の楽譜を階名で読んで弾いていたら、中学校でのドの運指が変わるという理不尽さを軽減できるのではないでしょうか。
そして、中学校でアルトリコーダーになった時に感じる理不尽さのもう一つに、小学校で覚えたソプラノリコーダーの運指を中学校でアルトリコーダーになると使わなくなるということが挙げられます。しかし、以下を見てください。
浜辺の歌 ヘ長調
今度はアルトリコーダーを持って、階名を読みながらソプラノリコーダーの運指と思って弾けば問題なく弾けると思います。
つまり、中学校でアルトリコーダーを使うようになっても小学校で学習したソプラノリコーダーの運指を活用する機会が得られます。これもまた、アルトリコーダーの学習の際に感じる理不尽さを軽減できると考えられます。
中学校までで学習する範囲(1#1♭程度)までで考えれば、覚える「ド」の運指の数は固定ドの場合2、移動ドの場合4であり、固定ドの方が少ないとはいえ大きな差ではないでしょう。少なくとも12倍とは言えません。
※図はマスの大きさの関係で長調のみ書いていますが、それぞれの調の平行短調を含みます。なお、短調の主音を「ド」と考える方もおられますが、学習指導要領解説では短調の主音は「ラ」とすることが示されています。
もちろん、将来的にこれら以外の調を演奏する場合に困るという指摘を受けることも予想します。しかし、固定ドであってもハ長調から離れればその分ハ長調の階名から流用できる運指は少なくなります。ハ長調の階名と異なる音が増えるほど、ハ長調の階名を流用することのメリットは感じにくくなるのではないでしょうか。実際に派生音を幹音と間違えて吹いてしまう子供は多くいます。これはハ長調でない曲をハ長調と同じ読み方をすることによって引き起こされているデメリットと言えないでしょうか。
そして、階名を使用する場合は、確かにドの運指が変わる負担を指摘されることはわかりますが、その分聴感覚と対応させられるという利点も得られます。学習指導要領では器楽の内容として聴奏が示されていますが、聴奏においては、階名唱で身に付けた感覚は非常に役立ちます。階名に適した聴感覚がある人にとってはドが移動することには、運指が変わる負担を相殺して余りある利点があるため理不尽なものではないのです。
もちろんこれは、器楽で音名を使用することを否定する論ではありません。ただ、音名だけで演奏させようとすると理不尽な思いをする人が増える可能性があり、階名を使用することにはその理不尽さを軽減させる可能性があることを論じています。「よろこびの歌」等の曲のページでも書いていますが、器楽でも階名唱の例を示すことは意義がありますし、階名を意識して演奏した方が良いという学習者にはそれを認めてあげるべきだと思います。
私事でいうと、私はちゃんとピアノを弾くようになったのは大学生になってからでした。それまでは何度か挑戦してみたものの派生音の多い調を両手で弾くなどとても自分にはできないと思っていました。しかし、階名感覚が定着していた大学時代にピアノの楽譜を最初に階名で読んでから弾いてみると、黒鍵が多くても「ドレミファソラシド」に変わりはないと思えたのです(もちろん音名はCDEで認識しています)。「器楽は固定ド」と思っていたら一生ピアノを弾けなかったと思います。
器楽においては、教科書でも固定ドが使用されている以上、固定ドを使用せずに指導するべきと主張する気はありません。しかし、そのデメリットを理解し、それを最小限にする工夫は必要だと思います。そのためには「器楽は固定ド」という先入観は見直すべきではないでしょうか。
器楽の指導を階名で行わなくても、固定ドへの依存度を下げることはできると思います。私が度々書いている固定ドで歌唱させず、「ラララ」等で歌うこともその一つですが、その他に、聴奏を多く取り入れるのも一つです。「H」「A」「G」の三音を習ったくらいの段階で先生が前で演奏する簡単なフレーズをまねるような活動等を積極的に取り入れてはいかがでしょう。
ポピュラー系の音楽では楽譜が読めないというミュージシャンも少なからずいますが、頭の中で音名を唱えずとも、頭で音楽を構築していれば演奏はできます。むしろその方が良い演奏には大事でしょう。子供達に「音名がわからないと演奏できない」と思わせない指導を多く取り入れることによって固定ドへの依存度を下げることができます。自身の聴感覚を大事に音名に過度に依存せずに演奏する習慣がつけば、器楽に階名を活用することの利点も自ずと感じられるようになるでしょう。
繰り返しになりますが、器楽を階名で指導するべきとか、固定ドを使うべきではないとかそういう主張をここでしているわけではありません。器楽においても階名を使用することを有益に感じる立場、音名への依存が足かせになると感じる立場について理解を深めていただければ、器楽教育で理不尽な思いをする人を減らせる可能性があります。
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